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鬼が化けて刀鍛冶


鎌倉初期の勇将として知られた畠山重忠の館は、今の埼玉県比企郡嵐山町菅谷にあった。重忠は元久2(1205)年6月19日、ここを発って、死出の山路になるとも知らず、134騎だけを率いて、23日今の横浜市旭区の鶴ケ峰にさしかかったところで、大凶報がもたされた。
北条義時が、重忠に謀叛の企てありとして、ここから2km先の二俣川(横浜市旭区)に、雲霞のごとき大軍を率いて出陣してきているというのである。もとより衆寡敵すべきもない。重忠は男盛りの42歳、無実の罪によって、鶴ケ峰における夏草の露と散った。
重忠は生前、菅谷館の鬼門除けとして、館の北方約1.5kmの川島に、鬼鎮神社を建立した。社名が示すとおり、鬼の鎮め、つまり悪魔払いの神であるが、ここの節分祭では、「福は内、鬼は内、悪魔外」と、他社とは違った連呼をするという。ここの絵馬の古いものには、刀を腰にさし、鉄棒をもった白鬼と青鬼が描かれているが、近頃は鉄棒をもった赤鬼と青鬼になっている。なお、社殿のまわりには、青か赤かに染めた鉄棒がたくさん吊るしてある。近頃入学祈願の屋根形小絵馬が、おびただしく吊るされている。
権謀術数うずまき、叛服常なき当時にあっては、重忠は例を見ない廉潔、心言不二の名将であるとともに、強力無双の勇将でもあった。当時、力自慢の長居という荒武者がいた。源頼朝の命によって、重忠はそれと相撲をとらされたことがある。長居が重忠の小首に一撃を加えておいて、前帯を取ろうとすると、重忠は長居の両肩に手をおいて突っ張った。長居はそのまま動かないので、頼朝が、もうよろしいと、引き分けると、長居はばったりと倒れ失神した。重忠に肩をつかまれた時、肩の骨が折れていたからである。それほど重忠は力持ちだった。
鬼鎮神社に、願いごとが叶うと、鉄棒を寄進することになっているのは、叶うと金棒とは、言葉の初めが、カナで一致し、似ているからともいうが、神社の創建者・畠山重忠が、力持ちだったことに関連がありそうである。重忠はいかにも智と勇をかねそえた鬼に金棒の人物だった。鬼鎮神社の創建については、重忠説以外に、もう一つの物語がある。 いつの頃のことか、むかしむかし、この嵐山町川崎に一軒の刀鍛冶屋があった。ある日のこと、「私は刀鍛冶になりたいんです。
弟子にしてくれませんか」と、入門希望の青年がやってきた。刀鍛冶は人手不足なうえ、後継者も欲しい、と想っていた矢先だったので、二つ返事で入門を許した。自発的な入門希望だけに、翌日からかいがいしく、骨身おしまず働きだした。それで上達も早く、日ならずして、独りで立派に刀が打てるようになった。 師匠の家には、鳶が鷹を生んだか、鄙(ひな)には希な美人の娘がいた。笑窪は七難かくす、というその笑窪さえあった。その娘に弟子が、恋のとりこになったのは無理はない。とうとうたまりかねて、師匠の機嫌のいい日、言い出しにくそうだったが、思い切って「お嬢さんを戴けませんか」と、求婚を申し出た。師匠は一瞬ためらっていたが、きっぱり申し渡した。
「お前が一と晩に、刀100本作れたら、娘をやってもえ!」
「きっとですね」
「うん、きっとだ」
師匠の確認をえた弟子の顔には、みるみる喜びの微笑みがこぼれた。善は急げ、師匠の気持ちが変わらぬうちにと、弟子はその夕方から、100本打ちにかかった。さし引きの鞴の音も、ふり上げ打ちおろす槌の音にも、今までと違って力強さがこもっていた。
師匠は、それが余りにも真剣味を帯びている。これでは娘をとられそうだ、という不安が、急にこみ上げてきた。一体どんなことしているんだろう、と抜き足差し足で鍛冶小屋に近づき、壁の隙間から、中をのぞいて見て、腰をぬかした。
顔は能面でみる鬼の形相そっくり。角が二本はえていて、睨む眼からは、稲妻のような光が、金床の上にふりそそいでいた。師匠は尻餅ついたまま考えた。何かよい工夫ないかとーー。
「あっ、そうだ」
と、低く独りごちて、抜かした腰をあげた。それからそそくさと,鶏小屋に向かった。まだ眠りをむさぼっている雄鶏の腹の下に、手をさし込んだ。鶏は手の暖さを、夜明けの暖さと勘違いして、コケコッコー、と一声たかく鳴いた。
その声で、弟子、いや鬼はどうなったか、おそるおそる鍛冶小屋に近づき、壁の破れからのぞいてみると、これまた驚いた。鬼は弟子の姿にもどり、金槌の柄を握りしめたまま、金床の上にうつ伏し、すでに息たえていた。壁にたてかけてある刀を数えてみると、99本、100本に一本足りないだけだった。
師匠は一時、娘婿にもと思った弟子だけに、この変わりはてた姿を見ると、憐れさがこみ上げてきた。庭の片隅にねんごろに埋葬し、その上に形ばかりの祠を建ててやった。それがいつしか、鬼鎮神社の起源として、民衆の間に広がっていったともいう。
日本刀名工伝より

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