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刀の霊姫鶴の泣訴


北陸越後(新潟県)が生んだ英雄といえば、昔は上杉謙信、今は山本元帥ということになろう。その上杉謙信のころの話であろうが、刀長約71・5cm(二尺三寸六分)強、一文字在銘の刀を磨りあげ、つまり中心の先を切って、長さを短縮するため、お出入りの研師のもとに持たしてやった。
研師は、はい、引き受けました、と気軽に承知した。作業は翌日やるつもりで、刀は刀箪笥にしまって、はやばやと床についた。昼間の仕事の疲れで、すぐ夢路についた。ところが夜半になると、美しい姫君が夢であらわれた。
「どうか私を切ることは、おやめ下さい。お願い申しまする」 
目にいっぱい涙をためて、そう懇願すると、すーっ、と姿は消えて見えなくなった。
夜が明けてから、磨り上げの仕事にかかる予定だったが、へんな夢をみたのが、何となく気になった。
それで磨り上げは、翌日回しにすることにした。ところが、その晩もまた同じ姫君が夢にあらわれ、涙ながらに磨りあげ中止を求めた。
二晩続きの願いが哀れに思えて、そなたは?と名前をたずねた。
「ツルと申しまする。しかとお頼みしましたぞえ」
と言いおわると、姿はまた、すーっとかすれて見えなくなった。二晩同じ夢をみたので、黙っていられなくなった。翌朝起きるとすぐ御腰物係をたずね、夢の話を申しあげた。すると、不思議なことに、その御腰物係も同じような夢をみたという。
「うーむ、これは只事ではないのう。磨り上げは中止に致そう」
こんな夢物語があったので、それからこの一文字の刀を”姫鶴一文字”と呼ぶようになったという。
だが、その化生の女の名がツルならば、ツル姫と呼びそうなものである。五代将軍綱吉の長女・鶴が、鶴姫と呼ばれていたようにである。
上杉家には細屋某といって、江戸で本阿弥家について、修行した鑑定家がいた。謙信が酒をのみすぎた報いで、脳溢血をおこし落命してから十年後、一冊にまとめた押形本がある。それには刀の押形に、つぎのような注記がある。
「姫つる一文じ也。上々、百貫、美禰(棟)一文字也。やきば大乱也」
現在の姫鶴一文字の中心には、目釘孔が四個あるが、網屋押形には三個だけである。中心の長さを比較してみると、現在の刀より二cmくらい長い。すると、その後、鶴姫の願いも空しく磨り上げたことになる。
この網屋押形本では、上杉謙信のことを、「長尾謙信公」と呼んでいる。謙信の死より十年後の押形本といえば、謙信が足利将軍義輝から、上杉管領職継承を許された、永禄二年(1559)、つまり二十九年も前のことなのに、領民たちはなお長尾謙信公と呼んでいたことになる。と言うことは、領民にとって、管領という名誉職など、どうでもよく、年貢をとりたてる長尾家だけが、関心事だったことになる。
謙信には実子がなかったので、姉の子を養子にしたのが、景勝である。景勝は愛刀家だったので、謙信が集めた名刀のうちから、36腰を選び愛蔵していた。それを景勝公御手選びと呼んでいる。そのなかに、この姫鶴一文字も入っていた。
明治維新の大業が成就したあと、東北地方宣撫のため明治天皇は明治14年米沢に巡幸された。天皇は愛刀家だったので、上杉家伝来の名刀をお取り寄せになり、熱心にご覧になった。そのうち、姫鶴一文字がとくにお気に入ったとみえ、それの押形をご所望になったほどである。
これには古い打ち刀拵えがついていて、拵えとともに昭和12年12月24日付で、重要美術品に認定された。戦後、上杉家を出ている。
日本刀名工伝より

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